宇宙一の仲良しで大切な宝物

朔ちゃんとわたしは、7ヶ月半前までいっしょに暮らしていました。

朔ちゃんは、キンクマハムスターの女の子です。明るくてやんちゃで元気でちょっぴりびびりさんで、とってもとっても優しくて、とってもとっても頑張り屋さんの子でした。

 

わたしにとって朔ちゃんは人生で2匹目のハムスターでした。以前飼っていた「れんくん」というゴールデンハムスターの子は、先天性脳疾患が原因で2週間足らずで亡くなってしまいました。その間一生懸命看病したり、分からないながらも必死に調べたり病院に通ったけれど、れんくんは旅立ってしまいました。

その後、ペットショップで朔ちゃんと出逢いました。他の姉妹の寝ているハムちゃんに上ったり、ぴょんぴょん跳ねたり、手を差し出すとすぐにわたしの腕に登ってきてくれて、このかわいい子にわたしは一目惚れをしました。

最初は手探りながらも徐々に距離を詰めていって、いつの間にか朔ちゃんとわたしは大の仲良しになっていました。人生でこんなに仲良しな子はいない、こんなにも愛おしく大切な存在はいないと思うまでに、宝物の存在になっていました。とても幸せな日々でした。

 

しかし、そんな日々は朔ちゃんをお迎えして1年1ヶ月経った頃に、他人によって破壊されました。

定期通院で朔ちゃんの検診をしたときに、動物病院で朔ちゃんの右足を折られたのです。気付いたのは夜22時頃でした。朔ちゃんがいつもの時間に起きてこず、心配になって見たら、骨が反対方向に折れていました。

通常、ハムちゃんは高いところから落ちたり横方向に力を加えられないと骨が折れることはありません。つまり、自分では骨折なんて起こすはずないんです。しかも朔ちゃんは動物病院から帰った後ずっと巣箱にいました。何もどう考えても、医師か看護師に骨折させられたのです。

しかし、病院側は否を一切認めませんでした。怒りに震えました。

けれどハムスターをきちんと看られる(骨を折ったくせに)病院はそこだけで、ここにまた通うしかありませんでした。経過を見たけれど朔ちゃんのあんよがくっつく様子はなく、開放骨折になってしまったため、手術を余儀なくされました。

手術には大きなリスクが伴います。あんなにもちいさな身体に麻酔を打ってあんよを切断しなければならないのだから当然のことです。

悩みました。すごくすごくすごく悩みました。わたしの朔ちゃんの生死がかかっているから。結果的に手術しなければ菌が入ってしまうとのことで、手術をし、無事に終えることが出来ました。しかし、朔ちゃんの容態は芳しくありませんでした。開放骨折中に傷を舐めたことで菌が入ってしまい、重篤化してしまいました。

朔ちゃんは生死の境を彷徨い、2週間入院しました。毎日お見舞いに行って「朔ちゃん、ママだよ。今日もがんばったんだね」と声を掛け続けました。

そしてなんとか退院したものの、元気になる→菌が入る→炎症が起こる→病院で処置をする→(入退院)→少し元気になる、を繰り返しました。症状は日に日に悪化し、セカンドオピニオンもしましたが、今度は足の付け根から断脚手術をせざるを得なくなりました。

人生でこれ程悩んだことはないほどに悩みました。

朔ちゃんの容態は悪く、今にも旅立ってしまいそうな状態で麻酔に耐えられるのか、手術以外の方法はないのか、なんとか探しましたが、結局手術以外の方法は見つかりませんでした。

2度目の断脚手術をし、結果的に成功して朔ちゃんは懸命に生きてくれました。ですが、数日経たないうちにおしっこの色が異常だと気づき病院へ連絡すると、遺伝性の糖尿病だと発覚しました。泣きました。絶望しました。ハムちゃんの糖尿病は後天性じゃない限り治らないと本で勉強していたからです。

余命はもって2週間と告げられ、その間もわたしと朔ちゃんは必死で頑張りました。朔ちゃんはごはんを食べて力をつけるように、わたしは朔ちゃんにごはんを食べて貰って少しでもいっしょにいられるように。

骨折させられてから4ヶ月間、ふたりでほんとうに必死にがんばって、いっしょにいられるように尽くしました。朔ちゃんは生きようと懸命だったし、遊びたいよ!かいぬしが大好きだよ!と伝えてくれたし、わたしは毎日朔ちゃん愛しているよと言って看病しました。

でも、朔ちゃんは余命を告げられて数日間すごくすごく一生懸命に頑張って、最後の日は1日中わたしの手の中で過ごしてから虹の橋へと旅立って行きました。

 

朔ちゃんがいってしまうなら、私も連れて行って欲しいと切に願いました。

しにたい。朔ちゃんといっしょにしにたい。虹の橋へ行きたい。朔ちゃんといっしょじゃなきゃ生きている意味なんてない。とくかくしんで朔ちゃんの元へ行きたかったです。

でもわたしにはやけに現実的なところがあって、死んだところで朔ちゃんと再会できるのか科学的根拠はないのだから、この意味の無い世界で生きていくしかないんだと悟ってしまったのです。だからしねなかった。

思い当たる方もいるかもしれませんが、この状態はどう考えてもうつ病です。でも自分では分からなかったのです。他人に言われても朔ちゃんといたかったから頑なに病院には行きませんでしたが、それは正解だったと今でも確信しています。だって、鬱病になってでも朔ちゃんといたかったから。自分なんてどうでもよかった、朔ちゃんが生きてくれればそれでよかったから。

その後、4ヶ月間ごはんを食べられず体重減少が止まらないとのことで、持病のかかりつけ医に紹介するからメンタルクリニックに行った方がいいかも、と言われて素直に病院へ行きました。抑鬱病になっていました。

 

メンタルクリニックへ行っても抑うつ病はすぐに治るわけではありません。3ヶ月は毎日朔ちゃんを想って泣いてばかりで何も出来ず、過眠症と不眠症に陥りました。ぼーっとする日々から少しずつ抜け出せたのは、診断されてから3ヶ月半は経った頃でした。虹プロジェクトが好きになって日々に楽しみを見いだせるようになったからです。でも、やっぱりごはんは食べられないし、生きる気力もあまり沸かない、そんな中で、わたしは7MEN侍と出逢ったのでした。これは次の記事で詳しく話しますね。

 

わたしの唯一無二の宝物の朔ちゃん。

朔ちゃんと過ごした1年4ヶ月と10日は、わたしにとって世界一幸せな記憶です。

今でも「おはよう」「おやすみ」「大好きだよ」と、写真と骨壺に声を掛けてお話ししています。朔ちゃんはお骨になってしまったけれど、きっと今頃虹の橋であんよを取り戻して元気な身体でたくさんごはんをたべて、たくさん探検をして遊んでいて、呼んだらわたしの元へ駆けつけてくれていると、そう信じています。

朔ちゃんのことが大好きです。

ずっとずっと、わたしは永遠に朔ちゃんを愛しています。

 

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朔ちゃん