わかりきった愛

考え事。五関さんの話というよりも自分語り。

下書きしてそのままの記事読んでたらわたしって五関さんから担降りしたくないんだなーと思った。そのときの記事には
「痛いのを承知で書くけれど、わたしは辛いときに五関さんに頼る。(中略)依存してるんだと思うけど、わたしには「五関さんを見る」っていうことが大切なことで日常の一部になっている。」
って書いてあって、その自然と手を伸ばす先がもし五関さんではなくなったらぐらついている証拠なのだろう。
ますくんから五関さんに自担が変わったときのことは覚えてない。降りる前から推してたけど担当になる決定的なことがなんだったのかは勢いが強くて全く覚えていない。ただ、手を伸ばす回数は圧倒的に後者の方が多かった。いつしかその役目が違う人に渡ったら自担が変わるってことになるんだろうな。


あ、五関担やめるつもりはゼロだよ。やめたく、ない。ただ、年月を経て変わっていく五関さんに対して対応出来ていないのは事実。当たり前じゃんね、歳を重ねれば体つきだってキャラだって変わるし、ダンスも変わる。その人の大事だと思っていることも変わるかもしれない。当たり前のことなんだけど、ね。その全てに立ち止まって振り返る自分がいる。
一希を見て、一希にとってのダンスの大切さを感じてひどく眩しく思う自分がいる。五関さんの表現方法は他の人と違うことは知っているけれど。
だいすきなのに、いちばんすきなのは変わらないのに、今の五関さんを受け止めきれないのがつらい。


滝コンの無限の羽をもう一度見たい。悲しくて苦くてでも甘い無限の羽を。